江尻裕亮の地獄すぎる35年間の手記~私のヤバイ元嫁と家族~

完全実名ノンフィクションです。地獄すぎる35年間を回想しながら、現在進行形で進んでいる逆襲を綴ります。

地獄の使者、元嫁N子。そして地獄の番人、両親。

地獄の生活を思い出す度に気が狂いそうになる恐怖を感じる。

  

元嫁は、私が毎日の牛乳を飲むだけで、もうこんなに減った、牛乳ばかり水のように飲んでおかしい、生協で宅配してもらう分が無くなったら買いに行かないといけないが、それは重いから自分で買いに行け、それを踏まえて飲めと罵倒された。

 

病気をしたときも別室で寝込んでいたが看病をしてくれたことはない。ひたすら子供に伝染らないかのみ心配しており、もし伝染しでもすれば子供を誰かが見ないといけなくなるのだが、私は仕事を休めないのに一体どうしてくれるんだ、ということを言われ、寝ている部屋の扉が少しでも開いていれば当てつけのように激しく扉を閉められた。またまだ治ってないのかと扉の外から声をかけてき、ごみを捨てるよう指示してきたりしてきた。

 

日常でトイレに行き大便を済ませるだけで、臭い汚いなどの罵倒をされた。子供にも父は臭いものだと刷り込み、そのうちトイレで大便をしている外から子供まで臭いというようになった。

 

家の中を歩くだけで臭いと罵ってきた

 

米を買うことはなく、元嫁の両親が玄米を持ってきていた。脱穀しないと食べれないのだが、その脱穀はすべて私に押し付け、どこに脱穀機があるのかどうかを調べて探さないといけず、いつもそれを一人でそれをさせられた。

                       

洗濯は、冬物のアウターやセーターについては、まだ着れる、まだ汚れていないなどと言われ、洗濯物置きに置いていても部屋に突き返されていた。結局、何年を洗ってもらえず、購入してから一度も洗ってもらえなかった。

洗濯してもらえた肌着などは私のだけ畳んでもらえずにいた。

また、サラリーマンで仕事はスーツ姿が必須であるのに、シャツのアイロンがけを一切してもらえなかった。毎日しわしわのシャツで仕事に行くのが屈辱だった。そのことを物申すと、なぜ私も働いていて家事もやって子供の世話もしているのに、あんたのシャツのアイロンをかけないといけないのかと罵倒された。それを言われるたびに、元嫁が私を騙し勝手に作らされた子供なのにお前が世話して当然だろうと思っていた。

 

 

結婚当初から家の共有貯金は元嫁名義ですると言われお金への異常な執着に恐怖を感じた。婚姻生活中、私がお金を使うから貯金が貯まらないと悪態をつかれ、実際私だけが使っている訳ではないし、共働きだからそんなはずはない、と何度か貯金額の提示を求めたが向こうが提示し公開しているのは私名義の口座のみで、向こう名義の貯金はたったの一度も明かすことはなかった。結局、婚姻中、離婚するまでどんなに聞いても、たった一度も向こうの年収、向こう名義の共有貯金の額を明かしてくれなかった。

 

 

毎月5万円と決めていた小遣いの振り込み用の口座・キャッシュカードを渡されるのみで給与振り込み口座のカードや通帳は持たせても使用させてももらえなかった。

毎月5万円の小遣いも、クレジットカードを使用すると使用した分1円単位で予め5万円から差し引かれたうえで振り込まれており、平均月2万円の振り込みのみで、昼食代・営業交通費の立て替え・交際費をねん出していた。昼食代ですらままならいため、昼食抜きの生活が続いた月もあった。

そのことを訴えて、実質2万円で生活できるわけがないだろうと話をすると、使ったものは返済するのが当たり前で、実際請求はカード会社から来ているのに、じゃあそのお金はどこから引いて支払えばいいのか、あんたの小遣いから引くしかないやろ、と罵倒された。

現金が2万円しかないため、昼食代は抜きにしたとしても営業交通費はどうしてもかかってしまうため、月半ばで現金がつきたので、またクレジットカードを使用せざるを得なくなる、という悪循環が続いていることも訴えたが、そんなの知らんわ、の一点張りであり、月5万円からクレジットカード返済分が差し引けなくなる金額が請求されると、今度は毎月支払い債務がいくらという1円単位で督促がLINEでくるようになり、毎月1万円のみ残したうえでどんどん引かれていった。

 

賞与については、半額を自由に使えるという話であったが、業績により賞与額そのものが少ない期については、勝手に半額ではなく10%という取り決めをされた。それは話が違うと反論したが、どれだけ家計にお金がかかってると思ってるのか、とかかっている費用の明細を出された。確かにかかっているが、共働きなので十分払えるだろうというと、私の賞与や給料なんかとっくに使い切ってるわ、と言われ、元嫁の通帳を見せてほしいと言ったが中身を見たことも明かされたこともなかった。元嫁の収入や元嫁名義の共有貯金の話になると、とにかくものすごい剣幕で罵倒され、話を終わらせるのでそれ以上反論することもできなかった。

そして、10%の取り分の賞与額から溜まっていたクレジットカー、ドの返済額を全額一気に引かれ、結局自由にできる賞与はいつもなかったが、その分、毎月

5万円から引かれることが一旦は無くなるので昼食がとれることに安堵し、反論をしなかった。

 

 

平日夜に自宅に帰ると調理器具の上に残飯が残っていて腹が減ればその残りを食べろと言われていた。食べていないのが分かると、残飯を捨てるのが手間だとか文句を言われていた。それを言われるのが嫌で食べずとも残飯を食べたことにしてバレないように隠して捨てていた。また月に一回程度の平日自宅に帰って一人で残飯を食べると、今度はなんで食べて食器も洗わんのかとか、あんたの家政婦ちゃうからと罵倒された。

 

 

そんな扱いをされている生活だったのに、たまの休日に一緒に出掛け食事をせざるを得ない環境は本当に地獄だった。

一緒に出掛けたくないから、昼過ぎまで一人で閉じこもっていた。昼過ぎに起きていくと、子供がお腹を空かせているが私は休みの日くらいご飯は作りたくない。なぜなら平日仕事をしながら家事などをしているから、と日常は罵倒しか浴びせてこなく夫婦仲が破たんしているにも関わらず、家族揃って外出していると近所の目へのアピールの為、外出を強制された。しんどいから行きたくないと言うと、小遣いを減らすなどと脅された。実際は食事に出かけても、ずっと料理を写真に撮ってSNSにアップしたり、スマホをいじるばかりで会話もないほど破たんをしていた。しかし、夫婦仲が悪いと思われたくないという体裁ばかりを気にしていた元嫁はたまに出掛けることでそれをSNSに上げ、さも私と仲の良い風な嘘SNSに書き円満を世間にアピールし周知することで、体裁を保つ異常なことをしていた。

 

 

また、元嫁の要望に応えないと罵倒の嵐で怖く逆らえなかった

嫌々行かざるを得なかった旅行も全く目的は周りに嘘の円満をアピールするためだけのものであった

 

 

その証拠に、私は旅行先でも写真を撮らされる以外は、ほぼ別行動であったのにSNSの投稿は全て嘘の円満ぶりがアップされており、その度にキチガイだとぞっとした

振り返るのは怖いが、振り返ると元嫁は交際当初から、あれをしろ、これをしろと指図し、従わないと暴言の嵐だった

 

 

結婚をもちろんしたくなく、別れるタイミングを計っていたのに、元嫁は向こうの親とグルになり、強制で私にプロポーズするように持っていき、プロポーズの場所、日時、タイミング、セリフ、指輪の指定までしてきた、恐怖で断り切れず逃げるに逃げられなかった。

 

 

 

そうやって、私に10年以上も強制し続けてきていた

本当に苦痛で恐怖でしかなかった

 

また子供の写真をスマホでアップをしたり、共有することやSNSのリンクも強制された。共に最初は拒否をしたが、小遣いを減らすや、家事を一切しないなどと脅された。

 

 

そもそも交際当初から嫌いだったし、元嫁は体臭口臭がひどく、私が生理的に受付けず、交際当初からセックスレスであり、元嫁の体を触ったのは交際し始めのたった一回のみで、その時に虫唾が走り吐き気がしたのを鮮明に覚えている、キスは交際し初めに元嫁からしてきた一回と、結婚式のせざるを得ない一回の合わせて2回のみ

強制させられ結婚し、私があまりにも元嫁が嫌いで反応せず性行為が出来ないので、二年がたち、妊娠しないから生でしてみろといつもみたいに追い詰めてき、その顔が不気味で怖くなり断る事ができず、トイレでアダルトサイトを見て一人でし、射精寸前にベットに戻り、元嫁の体を一切触らず、2,3秒挿入しただけの無理やりな性行為で、騙され子供を作らされてからは、7年間全くのセックスレスな関係、また交際当初から離婚するまで10年以上も罵倒の嵐が続く異常な生活が続いた。

 

 

実際 妊娠中、子供も元嫁も事故か何かで死なないかなとずっと願っていた。

生まれた日、実子を抱いて、もう逃げられないと思い恐怖で泣いてしまったが、親は私が感動しているとでも思っている。

子供の誕生を知らせるハガキにも、幸せぶらされた写真を載せられ、一生子供を守ると元嫁に強制的に書かされたが、ハガキが届いた親は、強制的に書かされたことも知らず、私が父親に身を引き締め決意したとでも思っているのだろう。

 

しかし私は、騙され望んでないのに生まれてきた子供なんて、一切可愛いと思わなかった。

子守もしないし遊んだりもしない、元嫁が子供にも私のことを汚い臭いダメな父親と刷り込んでいるので、元嫁と一緒に私を罵倒しあざ笑う可愛げのない子供だった。元嫁の指示通り祖父母の前、保育園でいい子を装っているが、やはり不自然で子供らしくないため、ほとんど友達がいなかった。

そういうロボットみたいに作ってる実子の保育園の行事を見て、望んで生まれてきていないのにこんな事までさせられ作り笑いをしている姿があまりにも醜く、見たくなく、早く別れたいと私は泣いてしまった。

しかし、私の気持ちを閉じ込めさせてきた両親は私が実子を見て感動したとでも思ったのだろうが、ありえない、醜くて仕方なかった。

こいつさえ生まれてこなかったら、簡単に別れられたのにと憎しみしかなかった。

 

 

家ではそんな実子は元嫁に刷り込まれたダメな父親の私に罵倒は浴びせても、寄ってこなかったから接点もほぼなく面倒見なくて済むので丁度良かった。

 

 

元嫁の異常さを両親に伝えた後、強制的に書かされたその誕生のハガキを私に見せ、この気持ちはどこにいったのだと、怒鳴られた。元嫁に強制に書かされたと言っているのに聞き入れてもらえず、心底失望した。

 

 

そんな、破たんしている生活の中、

元嫁が体裁から二人目がどうしてもほしいと言ってきた。

私はいらない、無理だと断りましたが聞いてもらえず、7年のセックスレスなのに、急に私の布団の横に来、私の局部を無言で触ってきたり、交際当初からも一度もしていないが、いきなり局部を咥えてきました、私はあまりに怖くなり震え、身を縮め耳を塞ぎ止めてくれるのを待つしかできなかった。

もちろん、局部は余計に縮む一方で、元嫁はその局部を見て、罵倒を浴びせ、自分の寝床に戻っていった。

こわくて、苦痛すぎて私は布団にもぐり泣くしかできなかった。

 

 

しかし、元嫁は実際の交際当時からの破たんしている私との事実を親、世間、周りに隠し、真逆の嘘をつき、円満な家庭、仲の良い夫婦、できる嫁、あたたかい母を演じていた。

 

 

元嫁は鬼、恐ろしい異常者でしかない。

こんな欠陥のある人間と2度と会いたくない。

怖くて仕方がない。

 

 

ずっと思っていたが、子供がいるのにもかかわらずママ友が出来ないのは、そうやって事実と真逆なのに、元嫁自身が嘘の幸せを演じ、私にまで嘘を演じらせてき体裁を装ってるのがあまりにも不自然だったから、人も寄り付かなかったのだろうと思っていた。

実子と元嫁、嘘の円満自慢をしないと人と付き会えない欠陥な奴だとずっと思っており

そんな二人が自分と関わりあるのが嫌で仕方なかった。

 

 

そんな元嫁と同じように私を罵倒する実子、その二人に騙され私を罵倒し親のために離婚するなと強要してきた両親、そんな元嫁と実子を猫かわいがりする元義父母、すべて異常者で、全員元嫁に騙され、私だけがいつも悪者にされ、欠陥品、汚い、ダメ人間と10年近く言われ続けてきた。

 

 

そもそも私がなぜ嫌々元嫁と交際し嫌々結婚し、無理やり子作りをさせられたのか、なぜこうなる前に拒否られなかったのかと言うと、それは幼少期からはダメ人間だ欠陥だらけだと両親に言われ続け、意思を出すことを許してもらえず、意思を出さずおとなしく従う生き方しかなかったからだ。

 

少しでも私が本音を言うと、両親に覆され殴られ、私という人格を全否定してきた。

親に逆らわず意思を出さない生き方しか知らなかった。

心では拒否していても我慢して時がたつのを待つしか術は知らなかった。

しかし親は体裁を気にし、私が頼んだわけでもないのに、学費や車などのお金を父親からでなく、いつも祖父がお金御用意してくれ、出してもらった後、私が少しでも反抗的な態度をとると、金を出させといて、どういうつもりだと批難を浴びせてきた。

私は、一度たりともお願いをしたことがない。

勝手に両親が決めそれに流されてきただけなのに、いつもいつも批難されてきた。

それに、口では私を全否定し偉そうなことを言う父親だが、いつも祖父にお金を出させている甲斐性がない父親には幻滅していたが、私が親の望む顔をしないと、言う通りにしないと批難がひどいので黙って自分の気持ちは隠すものなんだと生きてきた中で身についてしまった。

 

だから、元嫁に強制させられ、従わないと罵倒ハラスメントの嵐を受けるようになって、それが怖すぎて、元嫁と別れて幸せになりたい意思しか無かったのに、出すことさえ恐怖で10年以上も一人で我慢していた。

あまりの恐怖で元嫁の強制に従い奴隷のように言いなりになり、人生を捨てていた部分もあった。

 

両親からは幼少期から離婚するまでたったの一回も、私を守ってくれるような言葉は一切なかった、離婚するとき元嫁の異常さを伝えたのにも関わらず、一言も守ってくれるような言葉は言ってくれず、元嫁の嘘に騙され、お前が悪い、お前の幸せなんていらないから親のために離婚するなと言ってきた。

その時、この人たちは元嫁と同じ考えの、自分さえ得したら息子の私が傷つこうが関係なく、人を物扱いする異常者だと心底思い身の毛もよだった。

 

思い出したくなくとも、10年以上も受け続けた罵倒やハラスメントがふと頭に出てき、その度に恐怖で本当に頭が狂いそうになり思い出す度に、取り乱し泣きわめき、怖すぎて10階から飛び降りる寸前までいき、妻、4人の子どもを悲しませてしまった。

 

今は、毎日家族の誰かがそばにいてくれ愛情や安心をもらいながら日々過ごしている。